新・群馬県総合計画(基本計画)
116/135

116 第5章 地域の土壌と施策展望   5世紀に造られた国指定史跡「太田天神山古墳」は、東日本最大の古墳。大がかりな土木工事を行った当時の支配者の権力の大きさをうかがうことができます。また、市内には、7~9世紀にあったとされる国指定史跡「上野国新田郡家跡」など古代の重要遺跡が存在しており、太田は古代から、地域の拠点として発展していました。鎌倉時代末期、新田義貞が倒幕のために挙兵した場所と伝えられているのが、生品神社です。毎年、挙兵日である5月8日には、鎌倉に向かって矢を放つ「鏑矢祭(かぶらやさい)」が行われています。太田地域の土壌と施策展望市町村:太田市域内人口:224.4千人 / 域内面積:175.5㎢【古代】東日本最大の古墳や郡家跡【古代】東日本最大の古墳や郡家跡5世紀に造られた国指定史跡「太田天神山古墳」は、東日本最大の古墳。大がかりな土木工事を行った当時の支配者の権力の大きさをうかがうことができます。また、市内には、7~9世紀にあったとされる国指定史跡「上野国新田郡家跡」など古代の重要遺跡が存在しており、太田は古代から、地域の拠点として発展していました。【近世】徳川発祥の地新田氏の祖である新田義重から、世良田地区を与えられた義季が「徳川」を名乗ったのが徳川氏の発祥とされ、徳川家康も祖先を「上野国新田の徳川氏」として仰ぎました。江戸時代には、日光と京都を中山道を経て繋ぐ「日光例幣使道」の13の宿場の一つとして栄えました。【近世】徳川発祥の地新田氏の祖である新田義重から、世良田地区を与えられた義季が「徳川」を名乗ったのが徳川氏の発祥とされ、徳川家康も祖先を「上野国新田の徳川氏」として仰ぎました。江戸時代には、日光と京都を中山道を経て繋ぐ「日光例幣使道」の13の宿場の一つとして栄えました。世良田東照宮徳川3代将軍家光が、日光東照宮の大改修の際に、日光から本宮などを移築したのが、現在の東照宮です。国の重要文化財・史跡に指定されており、日光東照宮にも通じる煌びやかな造形を垣間見ることができます。世良田東照宮徳川3代将軍家光が、日光東照宮の大改修の際に、日光から本宮などを移築したのが、現在の東照宮です。国の重要文化財・史跡に指定されており、日光東照宮にも通じる煌びやかな造形を垣間見ることができます。地域の土壌自然歴史や生物に触れられる身近で豊かな自然市のシンボルである標高 ■■mの金山と八王子丘陵は、公園やハイキングコースも整備された身近な自然でありながら、複雑な山麓線を有し、大変豊かな自然に恵まれています。カワセミをはじめ■■■種以上の鳥類や環境省レッドデータブックの希少種であるオオムラサキなどの生息が確認されています。新田地域には湧水群があり、豊富な地下水を背景に、古来水田開削が進み、「新田莊」などで、水利関連の重要史跡をみることができます。現在でも、一部の湧水点では湧水が砂を舞い上げる様子を確認することができます。自然歴史や生物に触れられる身近で豊かな自然市のシンボルである標高 ■■mの金山と八王子丘陵は、公園やハイキングコースも整備された身近な自然でありながら、複雑な山麓線を有し、大変豊かな自然に恵まれています。カワセミをはじめ■■■種以上の鳥類や環境省レッドデータブックの希少種であるオオムラサキなどの生息が確認されています。新田地域には湧水群があり、豊富な地下水を背景に、古来水田開削が進み、「新田莊」などで、水利関連の重要史跡をみることができます。現在でも、一部の湧水点では湧水が砂を舞い上げる様子を確認することができます。歴史と文化~古代から現代に至るまで、太田地域は重要な拠点~歴史と文化~古代から現代に至るまで、太田地域は重要な拠点~農業に適し温泉もある平坦で肥沃な土地金山と八王子丘陵を除き、概ね平坦な土地です。南には利根川、北には渡良瀬川が流れ、平坦で肥沃な土壌は、農産物の育成にも適しています。米麦の二毛作を中心に、やまといも、こだますいかなど特徴ある野菜の生産が盛んです。新田地域には、県内では珍しい平野部の温泉地である「やぶ塚温泉郷」があります。新田義貞が鎌倉攻めで傷ついた兵を療養させたと伝わり「新田義貞の隠し湯」ともいわれています。農業に適し温泉もある平坦で肥沃な土地金山と八王子丘陵を除き、概ね平坦な土地です。南には利根川、北には渡良瀬川が流れ、平坦で肥沃な土壌は、農産物の育成にも適しています。米麦の二毛作を中心に、やまといも、こだますいかなど特徴ある野菜の生産が盛んです。新田地域には、県内では珍しい平野部の温泉地である「やぶ塚温泉郷」があります。新田義貞が鎌倉攻めで傷ついた兵を療養させたと伝わり「新田義貞の隠し湯」ともいわれています。【中世】新田義貞と「新田莊」「歴史に名高い新田義貞」と上毛かるたにも詠まれる新田義貞は、この地を領地としていました。新田氏の居とされる「反町館跡」など11カ所の遺跡からなる、「新田莊遺跡」が国の史跡に指定されており、周辺は歴史公園として整備され、当時の姿をしのぶことができます。また、国指定史跡「金山城」は、室町時代後期に、新田氏の末裔である岩松氏が築城した山城で、現在は土塁や通路が復元整備され、人々に親しまれています。【中世】新田義貞と「新田莊」「歴史に名高い新田義貞」と上毛かるたにも詠まれる新田義貞は、この地を領地としていました。新田氏の居とされる「反町館跡」など11カ所の遺跡からなる、「新田莊遺跡」が国の史跡に指定されており、周辺は歴史公園として整備され、当時の姿をしのぶことができます。また、国指定史跡「金山城」は、室町時代後期に、新田氏の末裔である岩松氏が築城した山城で、現在は土塁や通路が復元整備され、人々に親しまれています。生品神社生品神社鎌倉時代末期、新田義貞が倒幕のために挙兵した場所と伝えられているのが、生品神社です。毎年、挙兵日である5月8日には、鎌倉に向かって矢を放つ「鏑矢祭(かぶらやさい)」が行われています。【近・現代】北関東一の製造業の街へ【近・現代】北関東一の製造業の街へ明治~昭和の軍人で政治家でもあり、実業家の中島知久明治~昭和の軍人で政治家でもあり、実業家の中島知久平が創設した「中島飛行機」が、現在のff株■■■■■■■の始平が創設した「中島飛行機」が、現在のff株■■■■■■■の始まりです。同社を中心に太田市は製造業の街として栄え、現まりです。同社を中心に太田市は製造業の街として栄え、現在は、製造品出荷額で北関東一となっています。在は、製造品出荷額で北関東一となっています。出稼ぎで集まってきた工場労働者に、手軽に食べられる焼出稼ぎで集まってきた工場労働者に、手軽に食べられる焼きそばが人気となり、現在も「上州太田焼きそば」として、多くきそばが人気となり、現在も「上州太田焼きそば」として、多くの人に愛されています。の人に愛されています。

元のページ  ../index.html#116

このブックを見る